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WBC栗山英樹監督が“村上と心中”を決めた瞬間…城石憲之コーチが振り返る舞台裏「ごめん、代打はないから」「源ちゃんの送球を実際に捕ると…」 - goo.ne.jp

WBC栗山英樹監督が“村上と心中”を決めた瞬間…城石憲之コーチが振り返る舞台裏「ごめん、代打はないから」「源ちゃんの送球を実際に捕ると…」

WBC栗山英樹監督が“村上と心中”を決めた瞬間…城石憲之コーチが振り返る舞台裏「ごめん、代打はないから」「源ちゃんの送球を実際に捕ると…」 photograph by Getty Images

(Number Web)

 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で14年ぶりに世界一を奪還した侍ジャパン。内野守備・走塁兼作戦コーチとして栗山英樹監督の右腕となった城石憲之(ヤクルトの二軍チーフ兼守備走塁コーチ)が、激闘の舞台裏をNumberWebに語った。(全2回の#1/#2を読む)

 アメリカを下し頂点に立った劇的な決勝戦から間もなく1カ月。歓喜の瞬間は、未だに城石コーチの瞼の裏側に焼き付いている。

「あれほどの経験はない。終わってみれば最高に楽しい素晴らしい1カ月でした。栗山監督があんなに喜んでいる顔を、野球少年みたいな顔を見られたことが、何より嬉しかったです」

栗山監督から言われた「また一緒にやりたいよね」

 栗山監督とは日本ハム時代に、一軍監督とコーチとしてのべ4年間、苦楽を共にした。3年連続5位となりそろって日本ハムを退団した2021年11月、城石コーチは栗山監督の生活拠点である北海道夕張郡栗山町にある「栗の樹ファーム」に足を運んでいる。

「大自然の中で、とてもリラックスした表情をされていました。10年間ファイターズの監督として大変な思いもされて、ようやく重荷を降ろしたような……」

「栗の樹ファーム」には、全面天然芝の野球場がある。そのレフト後方にある小高い丘に、栗山監督と城石コーチはその日、一株の苗木を植樹した。木製バットの素材となるアオダモの苗だ。風に吹かれ、ゆったりと流れる時間の中で野球談義を交わした後、ふと栗山監督がこんな言葉を口にした。

「もしもう一回ユニフォームを着て勝負する機会があったら、また一緒にやりたいよね」

「打ってくれ、頼む!」ではなく「この選手は必ず打つ」

 遠い将来の話……城石コーチはそう捉えていたが、実はこの時、栗山監督は心に日の丸を背負う決意を秘めていた。その年の12月に日本代表監督の就任を発表。ヤクルトに復帰した城石コーチには、WBC本番を3カ月後に控えた2022年12月にコーチの要請が届いた。

 城石コーチの役割は内野守備・走塁兼作戦コーチ。ベンチ入りの人数の関係で今大会は専属スコアラーが不在だったため、大会期間中は対戦相手の打者の戦力分析も担った。ベンチでは指揮官の傍に立ち、刻一刻と変わる戦況を見据えながら阿吽の呼吸で支えた。

「基本的なスタンスは日本ハム時代と全く変わっていなかった。選手を信じ、選手をリスペクトする、と言っても、実際には僕ら凡人はどこかで邪念が入りますよね。栗山監督にはそれが一切ない。『打ってくれ、頼む!』ではなく、『この選手は必ず打つ』と信じきっている。意識してそう振る舞っている訳ではなく、元々そういう思考なんですよ」

源ちゃんの指は一目見てわかるほど…

 野球を愛し、選手を信じ抜く変わらない姿に心が熱くなる一方で、戦いの明暗を分けた指揮官の慧眼と決断を目の当たりにして痺れた場面もあった。まずは、ショートの不動のレギュラーだった源田壮亮(西武)の残留をめぐっての判断だ。

「戻ってきた後、ベンチ裏で源ちゃん(源田)の指は一目見てわかるほどおかしかった。変な方向に曲がっていたんです。骨折か脱臼か、いずれにしろ厳しいと思いました」

 1次ラウンド韓国戦(3月10日)の3回の攻撃。無死二塁の場面で二塁走者だった源田は牽制で帰塁する際に右手小指を負傷。テーピングを巻き一度はプレーを続行したが、4回の守備から途中交代した。その後、骨折と診断され、11日のチェコ戦、12日のオーストラリア戦は欠場し、中野拓夢(阪神)が先発出場した。

城石がファーストで源田の送球を受けると…

 源田の意志は固かった。「試合に出続けます」、「絶対にこのチームのレギュラーとして世界一になりたい」――。とはいえ、チームからの“預かりもの”である選手を、負傷したまま強行出場させるわけにはいかない。城石コーチの役割は、源田の昂る思いを宥めつつ、患部を固定したままでどの程度のパフォーマンスが出来るか、冷静に見極めることだった。

「その気持ちの強さにはビックリしました。物静かに見えるけれど、こんなに熱い選手だったのか、さすがライオンズでずっとレギュラーを張っている選手だな、と。診断を受けた後、東京ドームの練習でノックの動きを見て、僕がファーストに入って実際に投げるボールを捕ってみました。小指を固定して4本の指で投げている状態でしたが、驚くほどしっかりとした回転のかかったボールを投げていた。監督には『守備は大丈夫だと思います』と伝えました」

物腰が柔らかいですが、実は凄く攻める方

 バッティングは、グリップの下に右手小指を乗せ、力を逃すようにして打っていた。源田の揺るがぬ意思、医療的な所見、所属球団との話し合い……。熟慮に熟慮を重ねた末、栗山監督が下した決断はチーム残留だった。しかも怪我から6日後の準々決勝・イタリア戦ではスタメンで起用し、フル出場させた。

「普通ならば大事をとって……となるところ。もちろん、監督が一人で決めた訳ではないけれど、ある意味で選手の人生を背負う覚悟で大きな決断をされた。栗山さんは物腰が柔らかいですが、実は凄く攻める方なんです。采配、作戦という面ではどんどんと手を打っていく。出し惜しみじゃないですけど、(一手を)残しておいて負けることだけは凄く嫌だ、といつもおっしゃっている。そこもファイターズ時代から変わらない姿ですね」

メキシコ戦、城石が栗山に伝えた「迷い」

 一方、「動く」ことではなく「待つ」ことで勝利への道を切り開いたのが、村上宗隆(ヤクルト)のあの劇的な一打だった。1次ラウンドを通じ、打率1割台で長打なし。昨シーズン56本のホームランを放った史上最年少の三冠王が、不振に喘いでいた。準決勝のメキシコ戦。4−5と1点を追う土壇場の9回、先頭打者の大谷翔平(エンゼルス)が二塁打を放ち、続く吉田正尚(レッドソックス)が四球を選び無死一、二塁。そこまで3三振を喫していた村上を、栗山監督は打席にそのまま送り出した。

 城石コーチは、大谷が二塁打を放った時点でベンチ裏へと向かっていた。不調の村上の代打として送る牧原大成(ソフトバンク)に準備を伝えるためだった。サインは「犠打」いわゆる“ピンチバンター”だ。

「はい、わかりました」

 指示に頷いた牧原の表情はこわばっていた。

「あんな状況で代打に送ってバントをさせる。それは酷ですよ。あの場面で喜んでバントをしに行く選手なんかいない」

 少し迷いを抱えながらベンチに戻ると、栗山監督が言った。

「ムネ(村上)に任せよう」

 城石コーチも頷き、「バントが成功する確率は低いかもしれないですね」と指揮官に伝えた。

「僕は牧原のところへ戻って『ごめん、代打はないから』と伝えたんです。ホッとしていましたよ。それが普通だと思います」

スイッチが入った瞬間、というものを見ました

 吉田が四球を選んだのを確認すると、城石コーチはネクストバッターズサークルへと歩み寄った。振り返った村上の瞳に、戸惑いと不安の入り混じった複雑な色が浮かんだのがわかった。

「なんだろう? 代打送られるのかな? という表情でした。『監督がムネに任せるって言っているから、思い切って行ってこい』。僕がそう言って背中を叩いた瞬間、本当に顔色がバッと変わるのがわかった。打席の方をしっかりと見据えて、もうすでに打つ準備をしていたんです。まさにスイッチが入った瞬間、というものを見ました」

 村上は3球目の甘く入ったストレートを振り抜き、打球はセンターの頭上へ。劇的すぎる逆転サヨナラ打に、誰もが歓喜の声を上げベンチから飛び出していた。信じて待った栗山監督の信念の結実だった。

 しかし、実はこの試合を振り返ると、最終回へと至る物語の道筋として、栗山監督は運命的とも言える采配をしていたのだ。(続く)

文=佐藤春佳

photograph by Getty Images

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