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【ドラフト裏話】日本ハム史上初、北海道出身1位・伊藤大海が獲れてもスカウトが“はしゃがなかった”ワケ(Number Web) - Yahoo!ニュース

 運命の糸がつながるのは、たった1人だけである。その瞬間が到来することを信じ、待ち焦がれて1年間、標的を追いかける。 【この記事の写真】1年前はこんなに凄かった! 佐々木朗希を囲む報道陣など写真をすべて見る(全8枚)  2020年のドラフト会議は10月26日に開催された。広報として同行した。午後5時からスタートし、会場を後にしたのは午後10時だった。  日本全国にエリアごとに配置された各スカウトは、既に帰路へ就いていた。各地へと、また戻っていった。2021年へ向け、スカウティングをスタートしたのである。  自身が担当する選手が交渉権を獲得したスカウトもいる。反面、他球団との兼ね合い、巡り合わせで、指名選手に恵まれなかった者もいる。カバーするエリアの有望選手の質、数にも左右される。その年の球団の補強方針に合致せず、強く推薦した選手の指名が見送られるケースもある。  北海道日本ハムファイターズは今年、1位で苫小牧駒澤大学の伊藤大海投手を指名した。単独で、抽選を行うことなく交渉権を獲得できた。

今年でスカウト転身10年目

 今年、良縁に恵まれたのは北海道・東北地区を担当する白井康勝スカウトである。1年に1球団で1人だけの最上位指名選手の担当になった。現役時代は、本格派右腕で鳴らしたOB。少年少女を指導する「北海道日本ハムファイターズ・ベースボールアカデミー」の講師を経て、2011年から現職を務めている。ドラフト外でプロの門をたたき、ハングリーに活路を開いていった。ドラフトの重み、価値を知る適任者である。  スカウトへと転身して節目の10年目、伊藤投手を射止めた。

高校時代から将来性を見込んだ至宝

 奇跡的に「より」が戻り、再び巡り合った至宝だった。最初の出会いは、駒大苫小牧高校時代。白井スカウトは「肩と脚力が抜群で、当時から何回も、何回もチェックしていました」と将来性を見込んで注目していた選手だった。  伊藤投手は高校卒業後、駒澤大学へと進学した。 「大学へ進んで、どこまでのレベルの選手になるんだろうと、見ていました」  担当エリア外の選手になったが、行く末を気にしていた1人だった。不思議と、また引き寄せられることになる。伊藤投手が中退して、苫小牧駒澤大学へと入学。一度は切れた糸が、つながったのである。

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